雑考集

考える葦は腐りかけが一番美味しい




陰謀論、バッシング、言語解釈の無限性

偏見 - ひきこもり女子いろいろえっち

「20代ひきこもり系非正規女子」と自称する著者の方が書かれたブログ記事です。記事内容とは関係のない容姿や年齢、性別に対するバッシングのコメントに対する意見が書かれています。

この人の記事は一度見たことがあるのだけれど、非常に鋭い考察だと感じました。(前見た記事はこれ↓)

私のいる世界 - ひきこもり女子いろいろえっち

 

 

「一億総ツッコミ時代」といいますか、とにかくどんなレベルであれ批判しておきたい人たちが、特にツイッター以降わんさか出てきているように思いますが、こういう時代で考えなければいけないのはやはり言語解釈の無限性についてです。

とにかく言語は「こういった解釈は不可能」ということがなくて、あらゆる解釈がフラットに開かれている状態の上に「妥当性、信憑性」っていうフィルターがある感じ。

しかもこの「妥当性」っていうのがまた厄介な代物で、例えば「明日は西から日が昇る」みたいなトンデモ言説だとさすがにほぼ万人に対して妥当性0になるだろうけど、解釈によっては妥当かどうか微妙なところはいかようにも解釈で粘れてしまう(この理屈を徹底的に使い倒しているのが陰謀論者)。

物的証拠はこの妥当性を一気に高めるものではあるけど、それでさえも場合によっては再解釈できてしまうし、出せなければ出せないで陰謀論的に解釈を重ねてくる人に対してはもう太刀打ちが出来ないわけです。

 

結論としてそういう人たちはもう「放っておく」しかないのかなと。数だけ群れてありもしない総意のようなものを作り上げる面倒な性質はありますが。最近は逆にそういったものを利用する炎上商法というのも出来てきたようですし。柳に風というか柔よく剛を制すというか、逆利用的な試みは非常に小気味いいので大好きです。あまりよく思わない人もいるみたいですけどね。

 

あ、ちなみに僕は自称プラグマティストなので、記事内容が自分のためになればどういう人が書いていても別にいいかなという感じです。ましてやこういう学術的に面白い内容ならなおのこと。皆さんはどうお考えでしょう。