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雑考集

考える葦は腐りかけが一番美味しい




開沼博『漂白される社会』がKindleストアでセール中!

電子書籍 書評

……えー、このブログは「小難しい話」と「重たい話」をするために作ったはずだったのですが、7記事目にして早くも例外が出ることになりそうで。

フクシマ」論で一世を風靡した若き社会学者・開沼博の最新の単著である『漂白される社会』が、Kindleストアで54%割引になっているようです。

漂白される社会

漂白される社会

 

この本では売春、ドラッグ、ヤミ金、中国エステなど、かつては一般社会から蔑まれながらも、ダークな魅力と社会への影響力を持っていた「あってはならぬものたち」(開沼氏の表現です)が、「自由」で「平和」な現代日本においてどうなってしまったのか、ということが主にルポ形式で書かれており、そこに氏の社会学的見地が加わる、といったような構成になっています。

タイトルにある「漂白」というのは開沼氏の独自の用法ですが、これにはかつて「あってはならぬものたち」が持っていた「色」が深く関係しています。

「色」と言われてもピンと来ない方もいらっしゃるかもしれませんね。ここは『漂白される社会』本編から、「色」についての説明の部分を引用してみることにしましょう。

一つは、中心的な位置にいないこと。つまり、「色物」「色商品」という際の色であり、政治的・社会的立場について「あの人と、あそこの団体と関わると色がつく」という時の「偏り」とも言い換えられる色だ。もう一つは、社会における情事・猥雑さ・表立って忌避されるもの。つまり、「色事」「色街」という時の「色」だ。

(開沼博『漂白される社会』ダイアモンド社、2013年、401頁)

 

こういった「色」を持っていたはずの「あってはならぬものたち」は、現代日本では社会への影響力を削がれ、「色」を抜かれて=「漂白」されてしまった、と開沼氏は言います。そしてその「漂白」は、人々が指向性のはっきりしない、ぼんやりとした「自由」と「平和」を求めることで行われていったのだ、とも。

 

日本では義務教育の段階から、「あってはならぬものたち」のような存在からは目を背けるように教育されます。

確かにそこにあるのに、まるでないかのように扱う、臭いものにふたをする態度――時にはそういった態度が適切になる場合もあります。しかしそれはあくまで「逃げ」の一手であることは否めません。

存在することを認めようとせず、知覚の外に追いやるのではなく、ひとまず存在を直視すること――これこそが真剣な物事との向き合い方の必要条件であり、またそうしなければ、それについて語ることはおろか、それについて知ることも、判断することも時期尚早と言わざるを得ないでしょう。

ともすると目を背けがちな「あってはならぬものたち」から、目を背けないために読みたい一冊です。

漂白される社会

漂白される社会

 

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