雑考集

考える葦は腐りかけが一番美味しい




楽になりたいなら心の「マクロモード」を切れ

「今が辛い」人は、時間感覚を引き延ばそう。植物のように生きよう。 - ihayato.書店 | ihayato.書店

 

この記事を読んで、自分の思想と若干重なることがあったのでちょっと記事を書いてみます。

 

 

この記事中では「効率最優先の社会では、1つのことを成すのにかかる時間は短ければ短いほど良い。しかしそういった短い時間感覚は、ちょっとした変動も鋭敏に捉えてしまうのですぐにイライラする。そうならないためには時間間隔を長くとることだ」というようなことが語られています。

実は僕も「辛いなら生きる必要はない、辛い間死なずにいればいい」ということを、1年ほど前からずっと考えていました。ややレトリカルな言い方ではありますが、ここで言う「生きる」が「短い時間感覚」に、「死なずにいる」が「長い時間感覚」に対応している、ということは言うまでもありません。ちょうど辛いことがいろいろ重なった時期で、「短い時間感覚」ではとても物事を処理しきれなかった結果、「死なずにいる」という選択に至ったわけです。具体的には、一時期あらゆることに対して非常に陰鬱になりました。その結果知り合い数人から愛想を尽かされ、だいぶ回復してきた今もなおやりとりを断ったままだったりするのですが、「死なずにいる」ことの利点に関してはまた別の機会に。

 

しかしこの「時間間隔」というのは少々わかりづらくはないでしょうか。いいアナロジーを思いついたので紹介してみます。カメラの比喩です。

近くにあるものを撮るときのために、カメラには焦点を至近距離に合わせるマクロ(接写)モードというのがありますよね。マクロモードを使うと、近くのものには当然焦点が合いますが、逆に遠くのものはボヤケます。逆に遠いもの、例えば風景を撮るときに使う風景モードなんかは、焦点は遠くに設定されます。近くにあるものは焦点が合わず同様にボヤケますね。

 

要は「短い時間感覚」とは「自分の認識のカメラをマクロモードにすること」、「長い時間感覚」とは「自分の認識のカメラを風景モードにすること」だと思うのです。

 

「マクロモード」にしていると遠くのことはボヤケて見えにくい反面、近くのことはありありと、鮮明に写し出されます。ちょっと気に入らないものが写っていたりしたら、それはもう気になることでしょう。逆に「風景モード」にしていると、遠くのことははっきり見える一方、近くのことはボヤケて見えにくい。

この「風景モード」の一番とびきり上級なものが、冒頭の記事で引用されている仏教の考え方なのでしょう。なんてったって焦点が自分の死後に置かれているのですから、そりゃもう人生のあらゆることはボケボケです。多くのことが取るに足らなくなるのもさもありなん、といった感じですね。

とはいえ、いきなり焦点を自分の死後にまで飛ばすのはそう簡単にできることでもないでしょう。そこまで行くと宗教の領域に入る場合がほとんどですから。まずは入れっぱなしの「マクロモード」を解除して、「通常モード」にするくらいが気軽な一手かもしれませんね。