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雑考集

考える葦は腐りかけが一番美味しい




なぜ「よろしいでしょうか」は「よろし『かった』でしょうか」になるのか

雑考

「こちらお箸は一膳でよろしかったでしょうか?」

「ご注文以上でよろしかったでしょうか?」

「お探しの商品こちらでよろしかったでしょうか?」

 

 お店で買い物をしたり、ファミリーレストランで食事をとったりすると、このテの謎の過去形は非常によく耳にします。「~のほう」や「○○円からお預かりします」などとひとまとめで「バイト敬語」なんていう言い方もあるみたいですね。

 言うまでもないことですが、この謎の過去形が文法的に正しい用法となるのは「一度聞いたことをもう一度確認する場合」だけです。お箸の場合だったら「つけるかどうかは聞いたのだが忘れてしまったときにもう一度聞く」という場合ですね。ですから最初の質問で過去形が使われる理由は特にないわけです。

この謎の過去形、一体どういう仕組みで現れているのでしょうか。ちょっと考察してみましょう。

 

 最初に思い浮かんだのは、これは過去形ではなく仮定法なのではないか、ということでした。仮定法には実際にはありえないことを想定し、それについて述べる使い方のほか、"Could you ~ ?" や "Would you ~ ?" でおなじみの、主張や質問に丁寧さを付加する用法があります。要は「~でよろしいですか?」という質問をより丁寧にするため、「~でよろしかったでしょうか?」という言い方になっている、ということです。

 しかしこの考えはすぐに無理筋であることがわかりました。仮定法は他の欧州言語だと接続法という言い方になるのですが、接続法のときに使う動詞の形はふつう過去形とは別に用意されているからです。英語の場合はそれが時代の変遷とともに整理され、接続法の形が廃れてしまった、という背景があります。つまり動詞の形が仮定法と過去形で共通であることには、意味上の関係性はあまりないということです(現在形と同じだと直説法との区別がつかないから過去形になった、というくらいはあるでしょうが)。

 そもそも日本語は英語とは遠くかけ離れた言語です。いくら戦後英語教育が日本に浸透したとはいえ、このような用法を意識して件の謎の過去形を使っているとは考えにくいですよね。"Could you ~ ?" や "Would you ~ ?" を過去形で訳すというような習慣もありませんし。

 

 謎の過去形は仮定法由来ではない、ということにはもはやあまり疑いがなさそうです。ではこれで振り出しに戻ってしまうのかというと、それもまだ早計のように思われます。ここで目を向けなければいけないのは文法における法ではなく、最初にお話しした「過去に一度聞いたことをもう一度聞く場合」という部分なのではないでしょうか。

 丁寧語が接続法の一部となっていることの多い欧州言語に対し、日本語は独立した広い敬語の用法を持っています。欧州言語にも二人称に親称と敬称があったり、丁寧な言い方をするときの語彙がないわけではありませんが、敬称を使う人が相手の場合でも、日本語の丁寧語・尊敬語・謙譲語・美化語のように、文中で大規模な語句の変化、あるいは置換が起きることはありません。

 また語句の大幅な省略がよく起きるのも日本語の特徴ですね。体言止めや反語のような文法に組み込まれたものに始まり、日常会話では敬語話者どうしの会話であっても主語の省略は日常茶飯事ですし、よりくだけた日本語では助詞も相当省略されます。俳句や短歌などもこういった省略の技術をふんだんに利用した結果、莫大な量の情報を十七あるいは三十一文字に込めることができているわけです。

 こうした敬語や省略の用法を念頭に置いたうえで、改めて謎の過去形「~でよろしかったでしょうか?」を鑑みると、その背景には「お客様はもう当店に何度も足をお運びいただいておりますでしょうから、その都度その都度このような質問を致しますのは大変不躾ではございますが、失礼ながら私は未だお客様に対応いたした経験がございませんのでお聞きいたします」という、現代では明らかに過剰な敬語とその省略がある、というのはあながち的外れでもないように思えます。ポイントカードがあるかどうかを聞かれて「ないです」と答えれば「失礼しました」と返ってくる国ですからね。言われるたびに「なにも失礼なことはされていません」と言いたくなりますが、言ったところで怪訝な顔をされるだけなのでやっていません。実際のところ本当に失礼だなどとは微塵も思っていないのですから。